この日は草餅を食べますが、少し格好を付けて「ひきちぎり」を作りました。
草餅と言えば蓬を使いますが室町の頃からとされます。それ以前は母子草が使われていました。
この習慣もやはり中国の慣わしが我が国に伝わったものとされます。
この日は周幽王が草餅を廟に供えて天下が治まった吉例によるものとされます。
この他に水辺に出て祓いをしたことが、形をかえた風俗が曲水流觴(こくすいのりゅうしょう)があります。
上流から盃をながして盃が手元に着くまでに詩を作る遊びです。流觴の觴の字は「さかずき」と読みます。
雛祭は平安朝のころ幼児の厄を払わせるためのひとがたを、天勝(あまがつ)這子(ほうこ)を幼児の横においたことと、少女たちが雛遊び(ひいな)といって、小さな人形や調度を持って遊んだ人形遊びが合併して今日に至っているそうです。
そう思いますと、昔は幼児が成長する事は大変厳しい事だったんですね、改めて五体満足で成長した我が子を眺めて、今の私たちがおかれている環境に感謝しなくてはいけませんね。
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